網膜剥離になっちゃった5 「クラリネット吹きの術後」

クラリネット吹きの術後」

 

さて、ここからは管楽器を吹くという専門的な体験談になります。

 

管楽器を吹いた経験のない方にはわかりにくいかもしれないが、ピアノや弦楽器と違い、吹く楽器はお腹だけでなく結構目や頭にも圧がかかる感じがする。低音などは振動もある気がするので、少々怖いところがある。とはいえ、お腹にかかる圧を思えば、腹を切る手術後よりはずっといいだろう。

 


私は術後2週間目に、3半のリードを3番に変えて、恐る恐る軽いロングトーンからクラリネット練習を始めた。(リードというのはマウスピースにつける薄い板で、これの振動によって音が出る仕組み、色々な厚さがある。)

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普段よりリードを薄めにして負荷が少なくなるように、また音域も最低音域と最高音域は避け、吹きやすい音域で試してみた。

最初は15分吹いたら休み、大丈夫そうなら30分と少しずつ時間を増やし、音階、簡単な練習曲と吹いていった。

 


まずは楽譜を見ることは問題なく、一安心。ただ目が疲れるので、時々目をつぶったり、遠くを見たり、なるべく楽譜をガン見しないようにした。目の奥が重たく熱を持った感じになるのは、単なる目の疲れで、術後だから仕方ないそう。そういう時は暗くしてしばらく目をつぶっていると良い。

また、一度に長時間の練習をせず、午前と午後に分けるとか、分散させると良い。2週間以上休んでいたので当然口や体の筋力も落ちているので、そのためにも分散型練習は良いのではないかと思う。

 

レッスンも再開、生徒さんに教えることはなんの支障もない。

徐々にコンサートで演奏する本格的な曲の練習も始めた。

速いタンギングは初めはそっと、徐々に普通に戻した。気をつけたのはアクセントやスフォルツァンド、気にし過ぎかもしれないが、なんとなく怖いのでこれらはおとなし目にしておいた。

術後3週間で合わせの練習も始め、やっと目処がたった。突然剥離になってから、アンサンブルの仲間には多大な心配と迷惑をかけ、本当に申し訳ないことだった。いつ復帰できますと断言できないのが辛いところだったが、なんとか予定通りの日時に予定通りの曲目をお客様にお届けできそうでホッとした。そして順調な仕上がりで無事に本番を迎えることができたのだった。ちょっとパワー不足だったかもしれないが、1ヶ月前の暗澹たる日々を思うと、楽譜が見えて楽器が吹けてお客様の前に立つことができただけで、ただただ感謝しかなかった!

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これで、私が網膜剥離になってからクラリネット奏者として復帰するまでの顛末は大体書き終えた。このあとも、1月、2月、3月と結構ハードな本番が続いたが、目は無事、ことなきを得ている。ありがたや!

 


そうそう、片目に剥離があった人はもう片方の目も同じようになりやすいということで、外来で左目のレーザー治療をしたことを付け加えておこう。なんの症状もない方の目にレーザーを当てるのは少し抵抗があったが、15分程度で済み、なんの制約もないということなので、予防のためを優先した。レーザーは、大工さんが釘を打つ時によくやっているバチンバチンという大型ホッチキスみたいな?あれによく似ていて、目薬で麻酔をした目にバチンバチンと何箇所かやります。

「OK、やります」と気楽に構えていたが、これが痛かった。バチンとやる度に目の奥にズキンと疼痛があり、泣いた。脅かすようで悪いけれど、「こんなに痛いって聞いてなかったよ〜!」と泣きながら思ったことでした。でも、確かに時間は短く、外来ででき、治療後はすぐに仕事もできるので、剥離も早期発見できればこんなに簡単に済むということだろう。ただし、手術の扱いになるそうで、その日の診療費は3万円以上したと思う。

 


3回くらいで終わらせるつもりだったのに、こんなに長々と書いてしまいました。まだ書き忘れたことがあるような気もします。

あれから「私も網膜剥離になったことがある」という人が周りに結構いて、驚きました。意外と多い疾患なのかもしれません。もしかすると、音楽家は細かい楽譜を見る仕事なので近眼の人が多く、そのせいかもしれません。

術後の見え方は様々なようですが、ほとんどの人は仕事に復帰しています。もし今不安でいっぱいの方がいらしたら、希望を持って治療に専念してください。

あくまでも私の個人的体験談なので参考になるかわかりませんが、少しでも不安が少なくなり、お役に立てば幸いです。

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網膜剥離になっちゃった4 「退院後の生活」

「退院後の生活」

 

こうして1回目の手術から10日、経過良好&早く復帰できるようにとの配慮から早めの退院となった。この時点ではまだ目の中に空気が3分の1くらいは残っていただろうか。ただ、空気が抜けた部分の視力はどんどん回復し、この時点でかなり見えるようになっていた。

家での注意点は、

*1日の3分の1はうつ伏せで

*寝る時も仰向けを続けない

*重い物を持たない

*振動を避ける(階段は静かに!自転車暴走禁止、チェーンソー的な物禁止、激しいスポーツ禁止など)

*楽器の練習は空気が抜けてから

*目薬は1日6回(眼圧が高かったので普通はもっと少ないかも)

 

家でうつ伏せを続けるためにネットでこのような枕を家族が購入しておいてくれた。

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これは実は産婦さん用のクッションなのだが、硬さがあってちょうどよかった。顎の下にフニャフニャの枕を合わせて高さ調節したり、家だとあるものを使ってより快適に工夫できるのが良い。

PC用の小机も役に立った。

(机)f:id:maki_hanae_6:20220430140209j:image

また、これは娘が考案した「首吊り式うつ伏せタオル」

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この写真が送られてきた時は笑った!静か~な病室で声を上げて笑った!向かいのベッドの住人にも見せたら彼女も笑いを堪えられず、泣いていた(笑)これは楽チン、ただし首吊り窒息注意、決して眠ってはならない。

 

 

退院後、目の中の水晶玉はどんどん小さくなり、小さなシャボン玉になった。2日後の外来ではまだ居たが、5日後の外来では右の隅に小さく点のようになっていた。かわいいシャボン玉とももうお別れ、なんだか寂しい。そして、視力も見え方も手術前とほぼ変わらないところまで回復、遂にどんな姿勢をしてもよし、PCや読書も、楽器もOKとなった。入院から15日、硝子体手術から11日であった。

 

普通に前を向ける幸せ、仰向けに寝るってなんて楽なんでしょう!

体中ガチガチだけど、この幸せを嚙みしめよう!

 

多分これで、事務職などの動きの少ない仕事は復帰できるということだろう。運動系や肉体労働はさらに日数が必要だ。(術後1ヶ月~3ヶ月)一般の方は、順調なら術後10日~2週間で仕事復帰できるということだろう。

ただし見え方には個人差があり、元の視力より悪くなったり、歪んで見えたりすることもあるそうだ。退院後に、何人かの剥離友達を知って、意外に多いことに驚いた。レーザー治療だけで済んだ人から両目とも硝子体手術を受けた人まで、話を聞くと、症状も治り方も様々だ。中には視力がかなり悪くなった人や、見え方がクリアでない人もいて、本当に個人差があるようだ。

また、私の場合の手術の後遺症は、手術した右目のまぶたが下がりパッチリ目が開かなくなったこと。これは瞼をあげる手術しなければ治らないそうだ。あとは目の充血、最初は真っ赤でギョッとしたが、半年(長っ!)程で徐々に消えるとのこと。実はちょっと悲しい見た目問題だが、もう見た目を気にする歳でもないし、何より見え方に問題がないことで大満足である。

視力はほぼ回復したので私の場合、普段かけているメガネはそのまま使えた。ただ、楽譜を見るためのメガネは度が合わず、1ヶ月ほどして安定した頃に作り変えた。

 

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網膜剥離になっちゃった3 硝子体手術と楽しいうつ伏せ生活

 

「硝子体手術と楽しいうつ伏せ生活」

さて、バックリング手術では剥離を直せなかったので硝子体手術となった。これがいつになるのか、待つのが苦手な私はやきもきしていたのだが、このあたりから「諦め」→「悟り」の期間に入って行った。

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すると、昼夜問わず世話してくれる看護師さんや遅くまで手術して翌朝には診察してくれるお医者さんの仕事の大変さをつくづく感じて、感謝の気持ちが溢れてきた。同部屋の、もっと深刻な病の患者さんたちのことも見えてきて、やっと謙虚な気持ちになれたのもこの時期だ。パニックの時は何も見えない聞こえないんだなということがよくわかった。

 

それを見計らったように、バックリングから4日後に急遽、硝子体手術の得意な教授が執刀してくれることになった。2回目なので、手術の前の目薬攻めや、点滴はもう慣れたもの。今度は1時間ほどで手術は終わった。前にも書いたが、この手術は局所麻酔なので先生の言っていることや音などが全部聞こえる。前回の手術の時はなんとなくバックリングが上手く行っていないようだということがわかった。今回は上手く行っている感じが伝わり、実際、終了後に教授が満足そうに「上出来!」的な自信に満ちたことを言ってくれたので安心した。バックリングが無駄ではなく効いているということも、先生たちの会話でわかった。

 

それからは硝子体手術後のメインテーマ?である「楽しいうつ伏せ生活」だ。目の中に入れた空気を抜くため、抜けるまで下を向いていなければならず、寝る時も三日月型の枕の穴にまっすぐに顔をつけて、絶対上を向いてはいけない。昼間も1日中下を向いて、いつもおへそを見ているような角度に頭をしていないと、空気が抜けない。(空気は頭のてっぺんあたりからしか抜けないらしい。)トイレに行くときも、食事をするときも下を見ながら。机に突っ伏して寝る高校生の居眠り状態は可。最初の3日間は特に頑張りましょうとのことであった。

(まくら)

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手術した方の目は当然まだ見えないので片目だけの生活、に加えて常に下向きは不便だ。それでもラインや本を読むことも少しはできたが、こうなると耳からの情報がありがたい。音楽はもちろん、朗読ラジオなどが役に立った。ベッドでの携帯の充電は見逃してくれるので、そう言った耳からのツールとアプリを入院時に用意しておくと良いですよ。コロナ渦で今は面会禁止なので、家族にも会えませんからね。(衣類など必要なものを受け取ることはできます。)

 

3時間ごとに1日6回目薬をさすのだが、とにかく暇なので、目薬と食事の時間になると、やることができて嬉しかった(笑)。働き者の日本人のDNAだろうか。

辛いのは夜。常にうつ伏せで朝までぐっすり眠れますか?「NO!!!」

眠れるわけないでしょ。1時間ごとに目を覚まし、首や腰や膝まで痛くなり、夜中にトイレに行って体を動かすのが日課に。いつもは寝坊すけなのに6時の起床時間が待ち遠しいのだった。

 

とはいえ、このように「賢いうつ伏せ生活」を徹底していると、目の中の空気が徐々に抜けてくる。目の中に水平線みたいな境目があり、ポチャポチャと揺れているのが美しい。私の場合は水平線が徐々に下に降りてきて、なかなか幻想的な景色ではあった。

 

(術後2日、まだ5分の4は空気)

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頑張った甲斐あって、目に異常がなく、視力も少しずつ回復してきたので、「家でもしばらくうつ伏せを続ける」という条件付きで、2回目の手術後1週間で早々に退院して良いという教授のお墨付きをもらえた。ただ、この時点で、いつから楽器の練習を始めて良いか、3週間後に迫った演奏会で演奏できるのかはまだわからなかった。

 

(術後8日、空気が抜けたところから見える)

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硝子体手術の権威である執刀医の教授は、偶然にも芝居か何かで舞台に立つことがあるそうで、演奏家としての私の焦りや不安を理解してくれているという実感があり、大変心強かった。

「3週間後コンサートができるかどうか、それを決めるのは自分であり、どれだけ自分にとって重要かを計るのは自分である。やったことで何かあった時に、やらなきゃよかったと思うのなら、やめるが良い。」

このような言葉をかけていただき、ほっぺたをひっぱたかれたようにシャンとした。「腹を括れ!」ということですね、先生。何かとネガティブ思考に陥りやすい私にとって、この先生との出会いは大きかった。

 

医者は最悪の事態を想定して、必ず悪い例を示す。これは患者に納得してもらうため、訴訟などを起こされないために必要なことなんだろう。しかし、基本的には医者はポジティブであるべきだと私は思う。きめ細かく、一緒になって心配してくれる医者もありがたいけれど、時には突き放して、「私は私のやれることをやったよ。あとはあなたがやるべきことをやりなさい。」と自信を持って言ってくれる人を私は信頼する。

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網膜剥離になっちゃった2 「嘆きのバックリング手術」

 

「嘆きのバックリング手術」

さて、網膜剥離と言っても、ちょっとしたレーザー治療で済むものから何回も手術が必要なものまで色々だ。剥離の数が多く、範囲が広く、穴が深いほど重症だ。また場所によっても違いがあるそう。治り方も様々、視力回復にもかなりの差があるのは、後から複数の剥離友達から聞いてわかったことだ。

 

ここで唐突に自己紹介をしておくと、私はクラリネット奏者で、演奏や後進の指導を仕事にしている。実はこの時、1ヶ月後にクリスマスコンサートを控えていた。

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毎年開いているチャリティコンサートだが、昨年はコロナのために中止を余儀なくされた。今年はなんとか開催にこぎつけ、チラシも配布済み、チケットもほぼ完売なので、どうしても中止にするわけには行かず、実はパニックだった。

先生にはまず「何としても12月のコンサートまでに楽器が吹ける状態になっていないと困るんですっ!!!」と焦りまくって訴えた。医者というものはしかし、最悪の事態も想定して、決して、絶対大丈夫とは言わないものだ。術後順調に回復すれば大丈夫とは思うけど、こればっかりはやってみないとわからない。10人に1人は予後の良くない人もいるし、楽器の演奏というものが術後の目に与える影響はわからない、ということだった。

 

それでも私の切羽詰まった様子を見てなる早で無理やり手術をねじ込んでくれたり、自らPCR検査を行ってくれたり、とても誠意ある対応をしてくれた。しかしこの時の私は、1ヶ月後のコンサートとその後にも入っているいくつかの公演ことで頭がいっぱい。少し前までならコロナで公演は軒並み中止になり毎日暇だったのに、やっと仕事ができるようになった今なぜ?という恨み言も。正直、手術の事より、仕事関係が頭の8割を占めていた。眉間にシワを寄せて詰め寄るわがままな患者そのものだったろう(汗)

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そんな私を見て「今は、失明するかもしれないというレベルの話をしているのですよ」と、とうとう先生からやんわり諭されることとなった。

とにかく放っておけば失明するのだから、仕事があろうが無かろうがすぐ手術をするしかなく、上手く行かなければうまく行くまで何回も手術するしかないのがこの病気。手術しないという選択肢は無いのだから騒いでも仕方がないのだ。

 

そんな不安を抱えてのバックリング手術は入院したその日に行われた。

この手術は局所麻酔で意識があるし、ぼんやりととはいえ見えるので、はっきり言って怖い!私の場合は白内障の手術の経験があったので、今回は随分恐怖感が薄れたのはよかった。数時間前からの目薬と、目の下に麻酔の注射をするので、最初は痛みはそれほどでもなく、様々な色がお花畑のように見えてキレイなんて思っていた。剥離友達には「寝ちゃった」という豪傑もいた。しかし私の剥離は下の奥深くと場所が悪く、バックリングがうまくいかず手術は1時間半以上かかり(これは長い方らしい)しかも麻酔が切れてきて最後の方は痛かった~。かなり痛かった(涙)

その上、結果的にはこの方法ではうまくいかず剥離は治らなかった。バックリングが無駄だったわけではない、ということは後からわかるのだが、この時はキツかった。おまけにどういうわけか術後は目の周りがアザだらけ、KOパンチを食らったボクサーかDVにあってる奥さんか?!昔風ならお岩さん!目の周りを切ったりはしていないのだから、手術器具で押されたりこすられたりしたせいなのか?私以外にこんな人はいなかった。なぜ?肌が弱いのだろうか。ちょっとショックだった。

痣はすぐ治ると言われたが(完全に消えるまで1ヶ月くらいかかった)、見え方が良くならなければ、次は硝子体手術を受けることになる。痛い思いをしたのに良くならず、この期間が私の嘆きのピークだった。

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ところで、手術室は寒かったですよ。手術前には絶対トイレに行っておいた方が良いです。行きたくなくても行っておくべし。万が一手術中に行きたくなっても行かせてはもらえないので、男性はチューブで女性はオムツで対処するそう。う~む、それは避けたい、極力避けたいですよね。

 

この嘆きの期間に、やっと親しい友人たちに剥離のことをLINEした。

その時の友人たちの励ましの言葉がどんなにありがたかったか。特に網膜剥離で硝子体手術を受けた、友人の旦那様の体験談が何より支えになった。個人差があるとはいえ、やはり実際に体験した人の話は貴重だ。

彼は小児科医だが、術後2週間で仕事に復帰し10年近く経った今も再発はなく、支障なく仕事をしているという。

その他にも、ネットで網膜剥離になった有名人(ウーマンラッシュアワーの村本とか小林幸子とか)を調べたり、一般の方のブログも参考になったので、少しでも剥離になった人の不安が軽くなればと、このブログを書いているわけだ。

 

人は負の感情に陥った時、「嘆き」→「諦め」→「悟り」の3段階を経て立ち直るものです。とは、誰のお言葉でもない、私の勝手なお言葉です。(笑)

ここまでが私の「嘆きの期間」。辛かったな。

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網膜剥離になっちゃった1

網膜剥離になっちゃった!」

 

そこそこに長く生きていると色々なことが起きるものです。これは、昨年思いもよらず網膜剥離になり、予期せぬ出来事にあたふたした時の様子を忘備録的に書いたものです。不安と焦りでいっぱいの誰かが、ほんの僅かな落ち着きを取り戻してくださればとの思いで書きました。

 

始まりは秋、右目に短い黒い線2本見えるのでおかしいな?と思った。右目はもともと近視が強く、1年前、白内障緑内障の手術をしたので、その後も眩しく感じたりしていたため、あまり気にもとめなかった。緑内障の視野検査は定期的にしているし、術後は視力がかなり回復して、何も心配していなかった。痛くも痒くもないし、そもそも小さな点や糸くずが見える飛蚊症のような症状は10年も前からあったし。この時も1週間後に視野検査の予約を入れてあったので、その時に見てもらえばいいや位に思っていたのだ。

後々この時のことを何度悔やんだかしれない。私としたことが!!

そのうち、幕が降りたように上の方の視野が欠けてきてさすがにおかしいと思った時はもう近所のクリニックの視野検査の日、網膜剥離だと告げられた。青天の霹靂、全く予期していなかった。その場で大学病院に電話を入れてもらいその足で病院へ。この時、なるべく揺れたり人とぶつかったりしないようにということで、夫に車で送ってもらった。剥がれかかった網膜はちょっとしたことでますます剥がれてしまうらしい。なので、静かに一刻を争うのだ。

 

視力検査、眼底検査、眼底写真など様々な検査をした後、診察まで3時間近く待たされた。こういった緊急の場合、予約をしていないので待つのは仕方ないのだろう。最近も外来で「今日は剥離の患者さんが3人もいて診察が遅れています」というような時があった。しかし、急に見えなくなるんじゃないか、という不安でいっぱいの気持ちで待つのは辛い。

 

やっと診察してもらった結果、剥離は下側かなり深い部分、レーザー治療等では治らず、入院、手術が必須。バックリング手術か硝子体手術か迷うところだそう。

バックリング手術とは私が理解したところによると、目を動かす筋肉の下にベルトのようなものを縫い付け剥がれた部分を押さえる方法。目の中を切らないので目には優しい。

硝子体手術は、目の中から硝子体というゼリー状のものを取り除き、その代わりに空気やガスを入れて剥離を押さえる。

両方併用して行うこともあるそうだ。

結局、バックリング手術を行うことになった。

本来ならば即入院のはずだが、このご時世、PCR検査で陰性でなければ入院はできない。この時点で17時過ぎ、診療時間外だったので、結局PCRのために1日待たされることになり、やきもきした。それに、もし陽性だったら失明の危険があるのに手術をしてもらえないの?

そんなことをモヤモヤ考え、1日置いて陰性の結果が出てようやく入院、その日のうちに手術となった。

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ここまでのポイントは、月並みだが、「おかしいな、いつもと違うな」と思ったら即医者に行くこと!

たとえ近々行く予定や予約を入れてあっても(←ここがポイント)その日まで待ってはダメ!!!

 

そもそも網膜剥離は、ボクシングの選手などのように殴られたり強い衝撃を受けた時にも起きますが、(「ご主人からDVにあっていませんか?」と聞かれた人もいるとか。)最も多い原因は、加齢や、強い近視だそうです。特別に珍しい病気ではなく誰でもなる可能性があるということを覚えておくといいかもしれません。

 

では次回はいよいよ手術!